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Bandoalpha

Author:Bandoalpha
その時その時の思いついた事の、テキト~なメモ書き、らく書きです。
よってこのブログの基本テーマは、「めちゃくちゃグジャクチャ」、「自分でも何を書いているのか、よく解らない」という事になります。

至らない点につきましては、ご指摘を戴ければ嬉しいです。
まあご指摘を戴いても、あまり進歩・学習することは期待出来ないとは思いますが・・・

Toshi Hino/檜野俊弘
Bandoalpha@msn.com

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小説などは読まないのだが、「曽野綾子」という小説家の名前だけなら学生のころから聞いていた。

美貌と文才に恵まれた女流小説家だったようだが(Wiki)、最近は日本の「長老格」として、「日本人の心のあり方」などについても大いに語っているようで、著名な保守派論客として、正統派保守のオピニオン・リーダー的存在のようであり、文科省の新しい道徳教育教材「私たちの道徳」の中学校版にも、曽野綾子の言葉が採用されている。

SonoText (640x360)
文科省「私たちの道徳 中学校」P27より。

話題となっていたのは、産経新聞に掲載した曽野綾子のコラム「「適度な距離」保ち受入れを」(引用全文下記)に於いて、介護職の外国人労働者の受入れ提言とともに、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい」としている部分である。

◇◇◇
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい」

◇◇◇

強烈な印象を残したことが窺える、著者が知ったというこの「実情」が、曽野綾子自身が体験した話なのか、又聞きした話なのか文面からは不明だが、ヨハネスブルグの一マンションでの一黒人家族による”メチャクチャな出来事”を、黒人全般に共通している黒人特有の性癖と捉え、だからとても共に住めるものでない、「居住区域を別けるのがよい」とは一体どうゆうおつもりなのか。

白人でも大家族で暮らす者はいるだろうし、小家族で普通に暮らす黒人もいるだろう。日本人でもメチャクチャなのはいる。 置かれていた環境によっても人は変わるだろうし、人種を問わず人間とは多様なものである。

「生まれながらの肌の色や、人種によって、分け隔てされる」としたら、それは、特に子供達にとってどんなに辛いことだろうか。

コラムの「黒人」を「日本人」に置き換えてみれば、少しは感覚が解るだろうか。

『一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、日本人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
日本人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人や黒人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
日本人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは日本人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい」 』

先の大戦中の米国での日系人収容所、そして日系人による442連隊「ニセイ部隊」や、黒人による「Tuskegee Airmen-黒人飛行隊」ではないが、時に血を流し命を捨てて、人種的偏見・隔離・差別と闘い、人間本来の自由を勝ち取ってきた歴史のうえに今日の世界がある。

ネルソン・マンデラらの南アフリカでのアパルトヘイトとの闘いも又然りであろう。

お互い好きな友達家族同士の同じ人種が夫々の自由意志で集まって住む分にはよいだろうが、社会が強制的に人種毎に居住区域を区分けする国家というのは、異様なものであろう。

どうゆう日本にしようと考えているのだろうか。

曽野綾子といえば知識人であろうし、数々の賞にも輝く文学の才に長けた人だろうが、そうゆうことと、人間としての教養というのは全く別のようである。

◇◇◇引用;産経新聞2015年2月11日 曽野綾子の透明な歳月の光

「適度な距離」保ち受け入れを

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。

特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい」

◇◇◇

一読して人種的偏見差別を助長するような、「一発アウト」のこのようなコラムをホイホイ掲載する産経も産経である。
人間歳をとると色々と感覚が鈍るようになることも生じよう。
昔はそれが当たり前だったことでも、現代の世界では受け入れられないこともある。

産経新聞社にとって、曽野綾子というのが大切な保守論客なのであれば、年寄が思わず垂れ流して世間に恥を晒さぬよう、”介護”してやるのも新聞編集人の仕事ではあるまいか。

◇◇◇引用;NHK2月15日

曾野綾子さんのコラム 南ア大使が抗議
2月15日 15時09分

産経新聞が、作家の曾野綾子さんが寄稿した、南アフリカを例に、人種ごとに居住区を分けるほうがよいという内容のコラムを掲載したことについて、南アフリカ大使が人種隔離政策「アパルトヘイト」を許容するものだとして産経新聞に文書で抗議しました。

産経新聞の今月11日の朝刊に掲載されたコラムで、曾野綾子さんは介護の分野などの労働力不足を補うため移民の受け入れは避けられないとしたうえで、アパルトヘイトが撤廃されたあとの南アフリカ共和国を例に、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうがいいと思うようになった」と述べています。
このコラムについて、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は14日までに産経新聞に文書で抗議しました。
文書ではコラムについて「アパルトヘイトを許容し、美化した。行きすぎた、恥ずべき提案」としたうえで、「肌の色やほかの基準によって他者を差別してはならない」などとしています。
これについて産経新聞はホームページなどに、「当該記事は曾野綾子氏の常設コラムで、曾野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とするコメントを掲載しました。
また曾野綾子さんの「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しいという、個人の経験を書いているだけです」というコメントも掲載しています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150215/k10015469391000.html
◇◇◇



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2015/02/16 21:26 未分類 TB(0) CM(0)
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